kamapuノンアル日記

素面でも面白くありたい。

車は贅沢品なのか?

年を取ってからの挑戦なんて、本当にやりたいことでなければ無謀に終わる。

 

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車の免許を38歳の春に取得した。20年前の18歳の高校卒業手間で教習所に通いたく親にせびったが、お金以前の問題で「乗ったら人を殺す」と言われていた。当時は脅しのように聞こえたが、親の言うことなので、子供の適正を見てのアドバイスだったんだと思う。適正についてどれほど重要なのかその頃は確かに考えが浅かった。自分では普通だと思っていても、気づかぬところで周りに迷惑をかけている。

 

きっと父は私を育てるのに大変な苦労をしたのだろう。20年の仕事を通じて、私が注意散漫な気質で正確に物事を判断しにくいところがあることは今、身を以て知っている。本人に過失がなくても事故は起きるし、子が親より先に死んではならない。リスクを減らすのであれば、娘は大人しく箱の中でじっとしていればいいのだ。抑えられると反発したくなる。親の愛情からあの手この手で逃げ出そうとする。このジレンマがあるから子は巣立っていくのだと思うと、父は親として立派なのかもしれない。

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東京で暮らせば車は正直なところいらない。34歳ぐらいまでは電車を活かした都市生活だった。満員電車があたりまえで、たとえ痴漢であってもそのストレスは便利さによってかき消された。(痴漢を捕まえられる女性というのは勇敢な心の持ち主だ)振り返ると20代にアメリカの郊外に訪れた際、車社会で人を頼るしかなかった自分を情けなく感じたこともあった。その時はクレジットカードもろくに作っていない未熟な奴だった。海外に行くのは稀だし、人に支えてもらえさえすれば、仕事も生活もなんとかできる。帰りが電車であれば、お酒も楽しく飲める。とことん幸せな奴だった。

 

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30代になり、プライベートで年に数回、田舎に行くことが多くなった。田舎は車生活でお年寄りも多い。痴呆で徘徊した老人のことだろうが迷い人のアナウンスが流れていたりする。地下鉄は無いしタクシーも数が少ない車社会。そんなちょっと環境が違うだけで、必要とされる技能が運転免許なのだと思う。自分がいつまでも東京で暮らせるかわからないと思ったときに、免許を取らなければという意志に至った。年齢によって取得が難しくなる。受講料が変わるのだ。それを耳にしていたし、安く済ませるのであれば合宿だというのは判っていた。しかし会社を休めないので一番最初に選んだ教習所は非認可のところだった。教え方は丁寧でよかったのだが、学科をすべて自習で学ばないといけない。テストも午前半休を取って、試験場まで行かないといけない。思っていた以上に非認可は負担だった。ろくに勉強せずに受けたので当たり前なのだが、学科のテストを3回連続で落ちてやる気を無くしてしまった。それが34歳の時だった。

38歳で5年勤めた会社を退職し、仕事が決まらなければ免許を取りに行くつもりだった。運良く仕事が決まらなかったので(!?)、思い切って合宿免許に申し込んだ。時期も学生の少ない5月だったので宿泊込みで20万程度だった。場所は新潟だ。観光で訪れたことは一度あるぐらいで、詳しいことは何も知らなかった。教習所の周りは田んぼばかりで、車から眺めると水を張ったばかりの水面が光を反射してとても眩しかった。低い建物ばかりなので空が高かった。日が暮れると蛙がケロケロ泣く。

 

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教習生は私のほかに30代は2人いて、一緒にご飯を食べる仲になる。部屋に招き、酒の瓶を空け、ちょっとだけと言いながら日が変わるまで話づつける。30代女子の理由は切実だ。親の介護などが免許取得の理由であったりする。箱入り娘はいつのまにかに箱から放り出されて親の入る箱を用意するのだ。こんな話題ができるのも、教習所の寮が安心できる環境だったからなのかもしれない。完全女性寮であるのが良いポイントだった。そして朝、昼、晩とご飯が用意されている。ベットのシーツもタオルも交換される。かなり贅沢な時間だった。こんなリーズナブルなサービスがあって良いのかと疑問に思ったし、会社を辞めた甲斐があったと退職後初めて思えた。コンビニで日本酒が買える。(飲酒運転はしていません)新潟を選んでよかった。東京で知り合った新潟弥彦に住んでいる大学の先生とSNSを通じて連絡をとり、弥彦神社に案内してもらった。このために東京から旅行に来てくれる人も居て、会食の席まで用意していただくなどの嬉しい事もあった。感謝しきりである。何より弥彦神社マイナスイオンに癒された。

 

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仮免の実技で脱輪した。1日2時間しか教習車に乗れないので、試験に落ちると自動的に1泊延長するのだ。良心的な教習所なのでこの分の延泊料金は請求されなかった。一方、私の苦手な学科のほうは授業があり、コンピュータでプログラムされた学科試験が山のように用意されている。人より遅い習得ではあったが、ギリギリ合格ラインに到達した。教習所でダウン症らしき女性を見かけた。ネットで調べると、テレビでダウン症の方が免許を取得したことが放映された以来、挑戦する人が増えたそうだ。難しいと判っていても受かるまで何度も挑戦し続けるらしい。その精神力は尊敬に値するし、周りから反対されても取得しようという思いに至ること自体が健常者には想像できない世界だと思う。私のように会社を辞めなければ再挑戦しないなんて、甘えでしか無い。こんなこともこの出会いがなければ調べることもなかった。 

2週間の教習を経て、東京に戻る。狭い道路、背の高いビル。当たり前の光景が当たり前のように還ってくる。忘れないうちに免許センターに行き、本番の学科試験を受けて免許を取得する。警察OBが多いのか、視線を逸らさないおじさん職員の方が窓口で、強面というかその目力に萎縮した。ちびりそうだった。何も悪いことはしていないのに…これがチキンハートというやつか。ところが3回目を受ける時にはまた同じ人が窓口で「こんどこそ受かってくださいね」と少しだけ笑顔なのだ。2回連続で落ちてかわいそうな人だと思ってくれたのだろうか、1回目の時と180度違う物言い。その言葉のおかげで受かったのだと思う。できない人間のほうが可愛がられるってこのことだ。たぶん。しかし、法律違反すれば行政に処分される。待ち時間のベンチから見える「行政処分課」、ここでお世話になってはいけない。心してその看板をスケッチした。教習所での学びは「命の尊さ」が多かった気がする。自分一人の処分で事が済めばいいが、人の人生を狂わせたらそれこそ取り返しがつかない。

 

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次は車選びだ。貯金で新車を買おうと心に決めていたが、いざ見積もりを取ると心が萎えた。一番躊躇したのは保険料だ。ウェブで調べると年間5、6万なのに、ディーラーだと倍の金額が出てくる。初心者だし、保険会社によってその差が出るということだ。車体本体の値引き交渉もスムーズにできなかったので、保留にした。

(担当の営業さんが新人の美人さんで愛嬌もよく、感じがよかった。彼女の売り上げにしてあげたかったのだが、その上司さんが安売りさせなかった)

当面はカーシェアで車を借りることにした。WEBで申し込み、説明会に行く。あっさり車を借りることができた。私の家は駅から歩いて7分ぐらいのところだが、カーシェアはその周辺に10台程度ある。選び放題だ。試算するとカーシェアで充分だった。7月から乗り始めて、平均すると月額2万程度だった。保険料込みの金額だ。

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利用月|走行距離|走行時間| 料金

  7月 |   124km |    14H |    11,139円

  8月 |   142km |    17H |    11,811円

  9月 |   438km |    55H |    28,857円

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「車は贅沢品なのか?」
答えは明確だ。贅沢に決まっている。人間よりでかい筐体で、人間の歩行速度より何倍も早い距離で移動ができる。安い中古車であったって駐車場と保険、維持費で抑えても月に3〜5万かかる。車で消えるお金より普段美味しい食事と美味しいお酒とそこそこの寝心地のよい住まいにかけるお金のほうが大事だ。運転は楽しいが車を所有したいという欲望には蓋をする。

東京ではたまの贅沢と通院する母と叔母のためにカーシェアで車を運転する。そんな時々の利用で充分だ。そう自分に言い聞かせるためにこのブログを書いたのかもしれない。満員電車が嫌なのであれば、時差出勤できる会社に勤めるか、高給取りになるしかない。両方無理ならとっとと田舎で仕事を見つけてスローライフをすればいいのだ。大して稼げない自分に見合う人生はスローではないかと、39歳を迎える誕生日前に、ぽつぽつ考え始めていた。